Composition

2010年10月20日水曜日

質実剛健なホテル Craigellachie

開高健氏の本の中に氏が泊まりたかったが実現しなかった
ホテルとしてクレイゲラヒーは登場する。
スペイサイド・エリアにあり、500本以上の
スコッチを常備し、最高のホスピタリティを誇る隠れ家。
酒豪の誉れ高い開高氏であればその思いの丈はわかる。
なかなか予約の出来ないホテルという印象の
クレイゲラヒーに是非泊まってみたいとそれ以来思っていたところ、
今回たまたま運良く1日だけ予約ができた。
行ってみるとHOTELと大きく書かれた瀟洒な建物が建っていた。
アメリカのリゾートのように華美なものは一切なくHOTELと書
かなければなんだかわからないくらいに楚々としていて好ましい。

これがフロントである。この小ささ気さくさには驚いた。
考えてみればホテルの入り口も小さく家に入るような感じはマルロゥの
コンプリート・アングラーでも体験した。
長く逗留するスタイルのホテルはこれで良いと思う。
フロントはチェックイン、チェック・アウトとインフォメーション
をする場所だと考えるとアメリカ型の大型ホテルのように
客を威圧するような巨大さと緊張感は必要ないのである。
必要な時に用が足せてそれ以外は気にならない存在で居てくれた
方がよい。クレイゲラヒーの顧客を思う合理性に感心した。


宿泊で最重要な部屋である。それほど広くはないが綺麗に掃除
され、家にいるような落ち着きがあった。
洗面所とバスルームの眺めは窓越しに見える風景が美しく
ぼーとしながら歯磨きをするには最高

居間である。


バーカウンターの内部から見たものだが、バーには壁一面にスコッチが
並んでいた。そればかりかHOTELのあちらこちらにスコッチが並んで
いる。
こんなコーナーがホテルのあちらこちらにあり。何の気なしに座ると
今まで存在を感じなかったボーイが注文をとりに来てくれる。
どこにから見ているのだろうと考えたがわからなかった。
良い感じの突き放しと良い感じの対応はさすが高いホスピタイティと
大いに感心した。

ディナーの一例、ラムの骨付き焼きである。しっかりとした量と
大変美味しい肉とソースだった。

朝食のキッパーである。朝食とは思えないボリュームに圧倒されたが
大変美味しくすべてたいらげてしまった。
どれもこじゃれたフレンンチでもイタリアンでもなく地元料理で
ある。毎日食べても、いくら食べても飽きない普段食である。
このホテルの料理は人気がありレストランも予約が入りにくい
ようである。

スコッチの銘酒の数々。料理と一緒にどうぞ。

忘れてはいけないのがこのホテルの鍵。なんとブラス製の
アトランティック・サーモンで重さが250gもある。ホテル中を歩き回り
そこここでスコッチを飲めば鍵を忘れたり落としたりすることもある。
このかぎの存在感ならば鍵だけは忘れないだろう。


旅は音楽と一緒で良い時間を楽しむものだと僕は思っている。
まさに今回は良い時間をいただいた。
予約の取れないホテル・クレイゲラヒーは長く泊まりたくなる
ホテルであり。顧客にとって理想的な距離とサービスを提供
してくれる数少ないホテルだった。合理性は顧客に対して考えるもので、
スタッフの利便性ではないことを実感した。開高健大兄だったら
なんと言って褒めただろう。その文章を見たくなった。
こんなホテルの演出のよう音楽を作ってみたいと思った。
でも今の日本では沢山は売れないだろうな・・。

2010年10月19日火曜日

ブラック&ホワイト ウオーター

ブラック・ウオーター

コーンウォールやハンプシャーの町の名前になっていたり
ドウビーブラザースやアイルランドのアルタンというグループが曲名
としても使っているほどヨーロッパ,アイルランド、
スコットランド、イングランドではなじみのあるブラック・ウオーター。
泥炭質のピート地層を流れスコッチ色の水をそのように
呼ぶことを知った。

ホワイト・ウオーター
日本の水の殆どはホワイト・ウオーターだと思う。
比べてみるとその違いがわかりやすいように並べてみたがどちらも
スコットランド・ハイランド地方の水である。

シングル・モルトを造る課程で大麦種子を発芽させ乾燥させる工程が
ある。この乾燥は温度を上げ過ぎず、しかも素早く乾燥させる必要が
あるこの時用いられる燃料に混ぜるのが乾かしたピート(泥炭)。
このピートを使用することで「スモーキー・フレーバー」と呼ばれる
香りが麦芽に染みこみスコッチ・ウイスキー独特の特徴となる。
とのことであるがこのピートを見たことがなかった。

長年ピート堀をされてきた地元の方の協力を得て昔ながらの
手堀を見せていただいた。

ヒース(ハイランド地方やアイルランドの荒れ地)は
ヒース(エリカ属の低木)の群生地でもある。植物のヒースは
ピート(泥炭)を好む。ハイランド地方は広大な
ヒース地帯でもありおのずとピートの埋蔵量も多い。
スペイ・サイドはその中に位置している。

掘り出されたピート

丁寧に切り出されたピートはうまいスコッチを保証しているように
見えた。合成酒のウイスキーが闊歩していた時代に竹鶴さんが
本場で見たものはまじめで丁寧な職人の文化だったんだろう。

酒はその土地で様々な形を生む。僕は毎日は飲まないけれど
酒好きである。その土地土地の豊かな文化をいただく気持ちで
良い酒を飲みたいといつも思っている。良い酒が多い日本も
きっと良い文化を持っていると思いたい。

フライフィッシング、スペイキャスティング

スペイ川で有名なものにスペイ・キャスティングがある。
フライフィッシングのキャスティング(遠投技術)の一つ
であるがその独特な方法がアメリカや日本でも10年ほど
流行っている。前後にライン(釣り糸)を振る一般的な方法と
異なり、スペイキャスティングはほとんどラインを後ろに
振り上げない。最初に日本に入ってきた当時はグレン(谷)
で発達したので、後ろにある障害物をよけるためにでき
あがったキャスティング方法と解説されていた。

フライ・フィッシングは通常0.5gにも満たない軽いフライを
ライン(カラーのビニールコーティングされた糸)の重さで
竿を曲げその反動で前方に飛ばす釣り方である。

日本で思う、渓谷、谷は切り立った岸壁を想像しそのような
事を書いたのだろうが、実際のグレンは日本で言えば小さな
へこみ、地形のうねり程度であった。

またスペイ川は川幅も広くまた殆どのフィッシャー・マンは
川に立ち込んで釣りをするので後方に障害物・・
の考えはまったくあてはまらないことがわかった。

スコットランドでは川の所有権はその川が流れている土地に
付随している。上の写真はマッカラン蒸留所が所有している
敷地内を流れているスペイ川で所有、管理はマッカランが
している。ビット(BEAT)と呼ばれる区間に分けて1日単位
ごとに年間で貸し出されている。

このエリアで年間上がるアトランティック・サーモンは
80〜100本程度だそうで多くない数である。
常に上流に移動していくサーモンを釣るためには
何度もラインを振る方法(後方に)よりも
一回で無駄なく確実に狙ったところにラインを送り込む
為の実践的な方法としてスペイ・キャスティングが
生まれた事が現地に来て初めてわかった。


このビットを管理し、良い状態に保つ仕事をしている人に
ギリー(川番)がいる。
代々ギリーを生業としてきたスペイ川の主である。

家紋と同じ意味を持つ独自のツイードに身をかため川のこと
釣りのこと天候のことすべてをアドバイスしてくれる頼もしい
管理人である。彼らは地主に雇われており、アテンドのお礼は
マッカラン750mlのボトル1本であった。

自然を守り共生してきた彼らの誇りがジャケットの襟を飾る。

日本で言う番小屋の中である。綺麗に整頓されフライマンにとっては
教会の中に匹敵するが、教会と違うのはしっかりスコッチが置いて
あることである。何百年も続いてきた光景だと思うと、趣味を持つ
ことは人生を豊にするな・・と改めて思った瞬間である。

スコッチ、モルトウイスキー

ケルトと同じように僕には好きなものがある。それはスコッチ・
ウイスキーのシングルモルトとフライフィッシング。
どちらももう30年近く愛好している。

グレン(Glen)という言葉を聞いたことがあるだろうかアイルランド
スコットランドでは谷、峡谷をいう。英語でValleyになる。

そのGlenを流れるアトランティックサーモンの住む川がフライ・マン
には憧れのスコットランド北部の川、スペイ・リヴァーである。
このスペイ川に沿ってスペイ・サイドと呼ばれ、良いスコッチを創る
多くの醸造所が居並ぶエリアがある。

名を挙げればグレン・リベット、グレン・フェディックなどが有名で
マッカラン、ノッカンドオ、クラガンモア、カードゥ、グレン・スペイ
数え上げればきりがないくらいの数である。
グレン・スペイはニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝氏が
ウイスキー製法を学んだ蒸留所の一つ日本とも深いつながりがある。
数年前アサヒビールの方と食事をしたとき「竹鶴」の35年ものの
原酒をいただいた。そのすばらしさに竹鶴氏の情熱とそれを継承して
来たニッカウヰスキーの誠実さとその思いを大切にしているアサヒ
ビールに敬意を感じた。なかなか出来ることではない。

僕の一番好きなモルト・シングル・ウイスキー グレンリベット蒸留所
である。スペイモルトは全体的に華やかな甘みを持つがその中でもとても
良い状態なのがリベットである。オーク樽での寝かせとシェリー樽の二つ
があるが僕はシェリー樽の12年が大好きである。

もともとスペイサイドエリアは密造酒エリアだったのだが、正規の手続き
のスコッチよりも評判が良く人気があったららしい。グレン・リベットは
その中で政府公認第一号のモルトである。
是非一度お試しになることをお奨めしたい。

グレンリベット蒸留所のランチ・メニュー。

2010年10月16日土曜日

島ケルト四地区の一つスコットランドの旅

写真はスコットランドのケルティック・クロス

ハロウインなのでケルトのお話




ハロウインは古代ケルトの " Samhain "が起源といわれている。
新しい年と冬を迎える祭りで、この日の夜に死者の魂が
家に帰ると信じられている。日本のお盆の習慣のようです。
ケルト神話には「浦島太郎」のような日本の民話共通する話が
沢山あります。
そんなケルトとキリスト教の合作がハロウインのようです。

ケルトの神話では地下は死者の世界、地上は生在る者の世界とされていて
冬は死者の世界、夏は生者の世界とも考えられていました。
一日の中でも夜は死者、昼は生者で、その切り替わり時の
夕暮れは(魔界のどき)は日本のようにお化けや魔物ではなく
ゴブリンやドワーフなどのフェアリー達が支配する世界らしい。
ロマンチックですね。



スコットランド、アイルランド、コンウォール、ブルターニュ、
島ケルト四地区と呼ばれる地域がある。
それぞれにケルト民族の文化をアイデンティティとして暮らして
いる人々が住む場所である。
ここにウエールズが入ることもあるが、僕がケルト音楽を調べた
範囲では、現代のウエールズはすっかりイングランドなっていて
ケルト音楽を遡ることは難しかった。ウエールズ商務省の日本
事務所の方の話でもイングランドの民謡の話になってしまった。

僕は十年ほど前からケルトが大好きになった。
と云うよりもケルト神話やケルト文化、ケルトに興味を
持っている人が好きのようである。

ケルトと云えばケルト文様やエンヤを思い出す方が多いと思う
日本にとっては遠い国のとても昔の文化であり
つい最近までは一般的ではなかったと思う。

アイルランドのブルー・ナ・ボーニャの石室墳前の巨石
ケルトの渦巻き文様が刻まれている

僕がケルト文化を知ったのは龍村仁監督のガイヤシンフォニー
第一番の制作に携わったとき、ケルト文化の優れた研究者である
鶴岡真弓さんとご一緒させていただいたのがきっかけである。


エンヤと共演する出演者としてお会いした。
鶴岡さんの著書『ケルト/装飾的思考』を読ませていただいた
のがケルトの出会いである。
この著書はケルト文化にとどまらず、ケルト文化がキリスト文化と
どう向き合ってきたか、文化の闘争の歴史までもが書き表されており
とても興味深く読ませていただいた。

ケルト文化は様々解釈があり、学説的にはまだ途上にあるように
思える文字を待たず、紀元前800年頃にはヨーロッパ全土を
覆うほど勢力を誇り1000年にも及ぶ歴史は
極めて広範囲で永く、多様であり研究が
とても難しいのだろうと思う。


それ故、僕のような史跡や音楽、伝承などを素人的な視点で
ながめている者にとっては神秘的で興味深く、豊で自由な
発想が出来る素敵な素材である。
ケルト文化は日本文化に共通するアニミズム的な精神性が
色濃くとても共感できる部分が多い
もっとも興味を持ってからのケルトを題材にした書籍や映画、
音楽の影響が大きくたぶんに大きく、自分なりの
勝手な自己解釈ではあるが・・。

映画と言えば
2004年のアメリカ映画「キング・アーサー」
監督アントワン・フクーア
主演クライヴ・オーエン
グウィネヴィア・キーラ・ナイトレイ
の風景と装飾、時代感が好きだ。ストーリー、演出的には???だけど
ケルト関連映画としては良かったと思う。

近視眼的な日常生活にお悩みの方は是非ケルト文化をご覧になられては
いかがだろう。神秘的な歴史も良いものです。

僕のイメージするケルトは氷雨、細流、ヒース、
そんな荒涼たる自然の中の人の存在です。この写真はスコットランド
に行ったときのものですが、気に入っています。
写真はスコットランドの北部

2010年10月12日火曜日

Academia Nacional del TangoとCafe Tortoni

ここには必ず行きたいと思っていたアルゼンチン国立タンゴ学院
長い歴史を持つカフェ・トリトーニ

1990年に設立されたアルゼンチン国立タンゴ学院
 (Academia Nacional del Tango) の入り口です
格調高いですね。この時は中にはいることは出来ませんでした。
ご覧ください。
今回レコーディングしてきたMUJI BGM10に参加したバンドネオン奏者
Fernando Danilo Tabordaさんはこの学院の教授。
何人かの日本人にも教えた経験があるそうです。

タンゴ学院の1階はカフェ・トリトーニというよりも
カフェ・トリトーニの上にタンゴ学院が出来たといったほうが良いほど
古い歴史を持っています。写真でもわかるように創業1858年という
老舗です。


店内はレトロでエレガントです。
観光客らしき人が少ないのに驚きました。

店内の壁にはTangoの巨匠たちの写真や肖像がなどが飾ってあり
まさにtangoミュージアムのようです。
たぶん地元の人にとっては身近なものとして生活の一部に
しているように思えました。

1950年のアルゼンチンの重要なタンゴ映画 ARRABALERAの
の主演女優あり、ダンサー、歌手としても活躍した
Tita Merelloの肖像がです。

1935年飛行機事故で不慮の死を遂げた
タンゴの歴史上さも著名な人物、タンゴ王とも呼ばれ歌手で
ソングライターで俳優のCarlos Gardelも居ました。

1900年代の作家 Eduardo Blanco Amorの顔も見られます。

ボカ地区の風景画でしょうか当時の雰囲気が現れています。

店内の一角には当時のシーンを再現したものが展示されています。

照明も当時のものでとても美しいものがありました。

おきまりのカット。たぶんこのペーパーナプキンやシュガーバックも
当時のデザインのままなんだろうと思います。

歴史を大切にするのはたぶんアイデンティティが触れ動く大陸の人々の
環境によるもだとおもいます。
「変わるもの」「変わらなくていいもの」「変えるもの」の選択が
実に見事だなと思います。

都市や生活、文化、歴史を総合的に考え合意形成出来る文化に憧れます。

個人主義の集まりの全体と全体主義の中の個人の違いかな。
社会構造の元が違う気がします。